八本コンミューン 救対日誌(1969.1.9〜1.21)
東大全共闘・駒場共闘

一月九日
教育学部襲撃。私は救対班。はじめは「救対」と聞いて面白くなかったが、やってみると「消耗」な仕事。はじめての組織なので、日大全共闘のあのしっかりした部隊編成に比べれば、全然、体制はととのわない。
教育・経済攻めでは中核が頑張る。運ばれる重傷者の多くは中核。救対用のヘルをつくろうと、落ちていた白っぽいへルを拾うと、血のベットリついた中核のヘル。
教育学部のレポ兼薬品運搬のため、いったん、救対本部の医本館に戻ったとき機動隊導入。もう数十分あれば民青を追い落とせたのに! 救対本部は安田講堂側の守衛室に撤収。
二度目の機動隊導入。ポンポンと不気味な催涙弾の発射音のなか、一〇数人、守衛室の明りを消して身をひそませる。 静かになったので外にでてびっくり、広場にはぎっしりの機動隊。あわてて、また息を殺す。曇りガラス越しにパトカーの赤い灯がみえ、窓の下で休息しているらしい機動隊員の話し声。少しの音もだせない。窓を警棒で突っつき、「学生、いるか、出てこい」と怒鳴り声。一つの姿勢で長い間、じっとしているので、辛い。ストープを消しているので寒い。震えがくる。こわいので震えているのか、と恥じたが、一時間半ほどして機動隊が去ってからも、震えは止まらない。やっばり寒さのせいらしい。講堂に戻り、食事。のち駒場へ。

一〇日
秩父宮ラグビー場の七学部集会に全共闘としての方針が定まらず、駒場では反帝の方針で駒共闘の部隊、武装して、千駄ヶ谷へ向かう。出発後、全共闘の本郷集結、素手、ノーへルでラグビー場へ入る方針、伝わる。反帝と駒場共闘の百数十人は凶器準備集合罪で検挙。後の祭。
駒場に残っていたのは、正規の残留部隊というより、全共闘の方針がでないので不安で残っていたという六〇人ほど。本郷からの部隊を迎えるため、正門前に完全武装で陣取る。七学部集会を終えた学生、嬉しそうな、つまらなさそうな、「茶番でもやればいい」、「茶番だ」という顔で帰ってき、民ゲバルト部隊二〇〇ほど完全武装で現わる(ほかに二〇〇〜三〇〇ほど隠れている)。六〇人では勝ち目なしと、早々に八本に引場げる。
夜、明寮攻め。こちら側は日大、中大の支接部隊をあわせて五〇〇〜六〇〇ほど。救対のヘルをかぶって、レポ、食事づくり。ゲンナリするほどパンにピーナッツバターをぬりまくる。
救対隣りの「情報センター」では、駒場の地図を前に機動隊民青の配備状況を検討するK氏、KA君などのボソボソ声。ここにも血に染まった中核のヘルが一個舞い込む。
明寮攻め進展せず。上からの投石で負傷者多し。 夜半すぎ攻めあぐんで、いったん、中止。八本に戻る。わがクラスのスト実が優雅に暮らしていた部屋は、勇名とどろく日大芸闘委に占拠され、隣りの小都屋に移る。
民コロの捕虜が連れ込まれる。G子さんが激しい口調で迫っている。

一一日
朝五時、明寮、寮食攻め再開。最前線の救対として行動。とはいえ、実は薄明のなか、どこに最前線があったのかわからないが。石がしきりにとんでくる。やがて次第に明るくなり、石も、人もみえてくる。「ゲバルトは夜よりも昼のほうが民主的・公開的だ」と落書にあった。たしかに、人も、石もみえたほうがいい。純軍事的観点からは。しかし、どちらがいいのか。
日昇直前、「機動隊だ」の声で、後退。デマ。しかし、その後、戦線は膠着。
三号館の屋根越えに、明寮から、石がとんでくる。手のすいたものは、みな、投石用石づくり、石運び。最前線まで、リヤカーで運ぶ。楯になりそうな板は、なんでもかっばらう。
日が昇り、暖かくなる。昼間のゲバルトは、けだるく、眠く・・・。
支接部隊が次々と引揚げはじめる。
八本、三階の非常階段入口の完全バリ作業中、水道が一時止まり、水対策の必要に気づく。クラスで二個、ポリバケツ、他に懐中電灯、ローソクなどを買入れる。明るいうちにと石拾い、石運び。いよいよ、こちら側が完全防禦態勢。七本・二本間、一本・八本の東側にバリ築く。
夜、バリケードの完全組み替え。二★階は放棄と決定。代議員大会を終えた民青は、明日からの全学投票に備えて封鎖実力解除を試みると予想される。民青に負けるもんか。負けたって、負けるもんか。みな、いきり立つ。しかし、八本内には入影が少なくなった感じ。不安であり、日和りたがっているのを互いに知っている。「一人帰ったら、みな帰るだろう」と誰かがいった。たしかに、みんなの腰は浮いていた。だが、六月以来、七ヵ月の闘いへの意地がある。
このまま闘いは圧殺されるかも知れない。だが、私はここまできたのだ。あの弱虫の中途半端な優等生が、反逆者としての七ヵ月を、ここまで歩いてきたのだ。T君がいった。「絶対に引かない信念があれば撃退できる」。教育を落とせなかったのも、民青が自分たちの後ろにバリを築いて闘ったからだという。「退路を断って」闘えば、必死だ。必死のほうが勝つ。
夜半、全体集会をもつ。昼間、本郷で、講堂を攻める民ゲバルト部隊に、ノーへルの一般学生が投石、追い返し、銀杏並木にバリを築いた闘いの報告を聞く。ノーヘルの一般学生が民青に投石とは、みんな驚く。全共闘は不死身なのだ。孤立無接、期壊寸前になっても、全共闘が突きだしたものは不死身なのだ。報告者が「最後に、僕自身、最後まで八本にとどまって闘うことを誓って発言を終ります」。「異議ナシ」とみな力いっばい叫ぶ。インター。少なくみえた八本の人員は、実は二〇〇近くいる。

一二日
雨模様。昼前、家にTEL。オヤジがでてきて「玉砕主義ナンセンス」と。結果としてそうなっても、玉砕主義や、革命的敗北主義ではない。政治的、軍事的に見通しが暗いからといって、少し曲げて、多数派形成という方法はとりたくないのだ。
夕方、銭場へ。足に駝鳥の毛穴みたいなボツボツができ、そこが黒くなっている。考えてみたら八日夜から入浴していない。帰りに、久し振りの外食、「東大ロウ」へ。民チックな戦闘服の奴らがいっばいで、気味悪かったが、油っこい中華料理はおいしい。八本の中より、外がこわい。駆け帰る。
本部から、各部屋ごとに食糧買込み命令。クラスでは食管制をしき、 私はスターリン官僚的になる。
鍋、釜、ポリパケツに新鮮な水を入れておくことを忘れるべからず、後のことを考えて間食を減らせ、水の要るラーメンから先に食べる、等々。
夜、民青の挑発デモ。一本横で、タキ火をしていたこちらの一群、悠々と退かない。孤立したらどうするのだとハラハラ。

一三日
朝、民青の挑発で叩き起こされ、救対のヘルをかぶって下へ。三階のヒサシから、下の適当な投石合戦をボヤッと眺めていた私のすぐ後ろのガラスに一号館から民青の投げた石が当たる。
負傷者がでだす。打撲傷が多いが、下ではほとんど手当をしない。看護婦ゴッコじゃあるまいし、大きな傷なら何とか上に運びあげるし、小さな傷なら救対は要らない。
暇だから、もっぱら石拾い。前線近くに落ちている石など向こうに渡したら損だと、バリケードの外にまで出て拾う。
午後、正門前で集会をもつ。連日の睡眠不足で体がだるく、サボって、ウトウト。突然、大きなシュプレヒコール。「フーサ・・・・」「トーソー、ショーリ」。また、民青、一般学生などを集めやがってと、窓から首をだしてびっくり、赤、白、青、緑のヘルメットを先頭に四〇〇人ほどのデモ。味方だ。よく聞けば、「フーサ、カンテツ」「トーソー、ショーリ」。八本前で止まってインターの大合唱。私は体を乗りだし、手を振り、和す。八本の外に、まだこれだけの駒場共闘がいたのだ。それも予告なしの集会に、これだけ集まるとは。嬉しかった。全共闘運動は不死身だ。

一四日
朝九時、民青の攻撃はじまり、揺さぶり起こされる。眠くて、寒いのを、かこちながら三階へ。時々あがってくる負傷者を上に送ったりして下の闘いをしばらく眺めていたが、ポケットにゼノールをくるんだガーゼ、カット綿、赤チンをつっこみ、私も参加するべく、梯子を降りる。
一本一階アーケード近くの部屋の民青を攻め、投石、ゲバ棒でやりあう。八本屋上からヤジ、「一本の民コロ見捨てるのかヨー。ヒーヒーいってるぜ、助けないと宮顕に怒られるぜ」。この間LVとスト実のハネ・トロ連が一本を回って中寮まで攻めのぼる。結局、多勢に無勢で追いかえされるこの「勇敢なる行動」、あとで、指令なしに勝手にハネたと本部は批判。
一号館の屋上からはデッヵイ石が落ちてきて重傷者が出る。Y子さんが楯をかかえて、救出。私はといえば、石など拾い、わりとのんき。繁みの陰に、人目につかないためか、いっばい落ちてる石を、せっせと捜し、拾っていた。
撤退命令がで、まず救対が梯子をのぼる。逃げ遅れがでないかと心配。八本にもどると、なかにはまだグーグー寝ているやつがいっばいいる。そういえば、下で闘ってたのは四〇人ほど。屋上から投石していたのも三〇人はいまい。あと一〇〇人ばかりは、なかでゴロゴロしていたというわけだ。のんきといえば、のんき。基本方針は八本防衛。指導部では戦線の拡大をおそれている。
民青正門制圧。昼頃一本も民の制圧下に入る。八本屋上も石の攻撃に曝されることになった。昼までは大丈夫という見方は甘かった。民青のアジ放送「八本は包囲された」。昨日、家や、下宿に入浴などのため帰った部分がはいれなくなる。TM氏、TD氏、Y君、その他LVの女子多数が戻ってない。食糧、水なども不安だ。昨日中にもっと組識的に食糧補給をしておかなかったのがくやまれる。本部は各部屋ごとの自衛の食糧確保を、もっと徹底させるべきだった。TT嬢、Y子さんが現われ、私のクラスの食糧をゴッソリ、力ツパラっていく。「八本コンミューン」の名においてやむをえないこととはいえ、なお恨めし。
民青の放送によれば全学投票の最終日の今日までに「三、〇〇〇以上の学友が投票を済ませた」と。 投票の締切を夜一二時までにするなどといっているところをみると、よほど少ないらしい。「郵送」などの手段をつかい、ネトライキ組にも投票させようと努力しているに違いないのだから、四、〇〇〇〜五、〇〇〇は集めなければ格好がつくまい。
夜、八本の前にタキ火が七つ、八つ。正門の民青の検問をくぐり技けたこちら側の人間が三々五々、八本前をウロウロしているのをタキ火をかこむというかたちに組識したもの。「タキ火をしている諸君、早く退去しなさい。君たちの正体はわかっている。君たちは全共闘、ならびに全共闘の外人部隊である。君たちが今すぐ、八本の前から立ち去るなら、われわれは何もしないであろう。もし、そのままタキ火をつづけるならわれわれは容赦はしない」とまるで機動隊そっくりの民青放送。ついでにいえば私たちが前にでていくと、よく「君たちは女子学生を前線にだすのか」とアジった。民青の女性観、ひいては人間観、「解放」のイメージがわかろうというものだ。
タキ火組の一部は、「三々五々」一本からの投石にあいながら梯子のぼって八本にはいってくるが、大方はそのまま。「民青が実力できたら基本的に逃げる。そうでないかぎり徹夜で八本を守る」。
徹夜のタキ火のため紙クズ、食糧、あたたかいお茶など降ろす。
民コロのヤジをかき消し、フラメンコギターが響く。医共闘のTN氏だ。タキ火の人々には絶好のプレゼント、しばらくは安心して眠れそう。

一五日
午前、二階で全体集会。スト実、各科類闘より各々一〇名ずつだして特別行動隊を編成。以外は基本的に外に出、集会をもち、本郷の労学総決起集会に参加するとの方針。いったん、外にでた部分が再び八本に戻れるか、どうかは悲観的。外にでた部分の結集場所は明大和泉校舎と指定。私は外にでる気は毛頭なく、内に停まることを念じた。救対は基本的に八本を動かず、と聞いて安心。民青が入ってきたらゲバ棒もつと決意を固める。一五〇人ほどが外にでることにきまる。
二階から梯子で外にでた面々がシュプレヒコールなどで気勢をあげ集会中、民青がドッと押し寄せ、こちらの隊列は、あっという間に崩れる。かなりパクられ、捕虜のなかには今付自治会委員長もはいっている。
勢いづいた民青は、一本から激しい投石、八本は完全に孤立。こちらも負けずに投石。民青は一般学生なども動員して、投右よけのトンネルをつくり、接近。一階のバリを破壊して、ついに八本内に進入。階段をあがってくる奴に煮え湯をかませろといっても、高いところから落としたのでは途中でさめてしまい、あまり意味はないらしいが、お場を運んでいる途中、自分がヤケドする。めげずに、三階中に散らばっている石、ガラスの破片を投石場に、せっせと運ぶ。
一階は完全に占拠され、電気、水道が止まる。食糧の差し入れも困難、水も限られて、食事班、活気づく。
夜、「分隊討論」。機動隊がはいるという情報で、民青はゲバ棒、ヘルを焼き、鉄パイプを池に沈めているという。私はLVの討論に参加。論議の焦点は簡単にいえば、機動隊が入ったら退去するのか、残るのか。「機動隊と対戦しても意味がない、それより駒場共闘の組繊化が間題だ」、革マルチックな意見。「全員残って徹底抗戦」、全共闘主流派的意見。腹の中をブチ割れば、お前は残るのか、残らないかと聞かれている。ややこしい。全員残ると決めてしまえば簡単なはずだ。 張り番の時間になって討論中断。
誰かがギターをもってきた。ゴロゴロ寝ながら、ポビュラーを歌う。みなよく知っている。私は全然、わからない。そういえば今日は一五日、シャバでは成人式。LV闘には二〇歳になったのがいっばいいるはずだ。「成人式挙げようか」、一九歳の私はいう。「そりゃ、いい、でも成人式っていうのはイメージ悪いなあ」、てっとり早くいえば、コンパしようという話。お場を沸かし、コーヒーを飲み、チーズを食べる。機動隊にパクられたら食い損なうと思ったら、ケチケチ食管制の必要を感じない。パイナップルの罐は半分ずつ食べ、ローソクの光の中、大声で歌う。LVだけでなく、どこも同じことを考えるらしい。スト実の部屋からも、調子はずれの歌声が聞こえる。
忘れられないの、ゲバルトが好きよ
青いヘルかぶり、ポリを見てたの
私は、両手で敷石はがして、
ポリに投げてた、ゲバの季節よ
(「恋の季節」の節で)
夜明けには機助像とのゲバルトになる。捕まるのはいい。だけど八本の上からデ力イ石、落としたりするのは消耗だな。
革マルのY氏が留置場談義をはじめる。「金はもってたがいい」「久松署は久松マンションといって食物がおいしいんだ」「指紋と写真は一応とらしておけ」。救対から配られたカードの中身――弁護士の選定、完全黙秘、拘留延長でも頑張れ、等々――を確かめる。未成年の女の子なら二泊三日といかないかな。もうパクられる気分でいる。そうだ、下着を着替えておこう。人っ気のない暗い部屋にいき着替え、よごれものは燃やす。

一六日
未明、機動隊はこなかった、かえって重い。明日、明後日いつまで待つのか。
朝、全体集会。パクられのイメージを総指揮から報告「落とせるものは皆落として抵抗する。ガス弾で中にはいられなくなるから皆屋上にでる。パクられるときは、屋上をデモり、インターでも歌って、カッコよくパクられる」。「何十人か残って権力との対決というのには意味がない」という意見もでる。
私自身は、全員による微底抗戦。
水の欠乏は厳しい。トイレが流れない、手が汚い―食事係はクレゾール液で掌だけをふく、顔が汚い―ぬらしたタオルでこすると真黒、食器も不衛生。伝染病が発生しなければいいが。夕食のあと、翌日分のゴハンをたいとこうとの提案があったが、ガスが切られ間にあわず。電気、水についでガスもなくなった。以後、屋上のタキ火で炊事。
夜、民青、定例挑発。八本裏、生協との間あたりの木に大きなバチンコをしつらえ、窓ガラスを狙い打ち。ジャンジャン当たる。

一七日
明方、一時間ほど張り番を手伝う。毛布をひっかけ闇をにらむ。黄ヘルが時々、ウロチョロ。嚇しに石を投げたくても、フワッと落ちるのでは逆効果。ヤジを飛ばしたくても、女の声では損。
ウーウーとサイレンの音もけたたましく機動隊がしょっちゅう周辺をウロウロ。対催涙ガス用にホウサン水をいっばいつくり、 脱脂綿に吸わせる。
民青の監視の隙間をぬって、「オフロに入りたいわ」と女子八人でる。入れ替わりN君等、何人かが入ってきて、LV闘を二分隊に再編、第六分隊を新設。
革マルのN氏、英雄的に民青の油断に乗じ一階にもぐりこみ、メタメタになっていた配電盤を強引に針金でつなぎモーターをまわすのに成功、 水をあげる。ありとあらゆる容器に水を溜め、トイレを流し、久し振りに顔を洗い、洗濯もする。水は屋上のタンクにいっばい満ち、これだけあれば九六人の人数で一週間はもつ。
食事班、張切り、よく働き、かつ、スタ官的な食管制の厳しさと思いやりの度を強める。これだけ野菜が欠乏したなかでも、食事のたびに野菜サラダか、みかんをつけ、あたたかい汁物を配るよう苦心するとか、明方の屋上の張り番が骨の髄まで凍てつくのを察し、タキ火で沸かしたお茶を魔法ビンにつめ、配るとか、張り番交替のとき、本部で食事を受け取る制度をつくるとか。これはとくに評判良好。なにしろ、みな飢えている。
民青、盛んに「お前ら腹減っているんだろう」と刺激的ヤジを飛ばす。「当たり前だ。若いもんが二日も何も食べないと、凶暴化するんだゾ。火炎ビンでお前らのバーべキューつくっちゃうからな」「お前、ブタ民だな。食いたいよ」「スタ汁がほしいよ」「民主化弁当食いたいよ」等々とオーバーに応じる。
誰かが「民主化弁当」を頂戴してくる。銀シャリ、タクアン、ミソ等、貧弱。日共の恩賜にしてはオソマツだとか、何とか、しきりと評定。
外には「八本の兵糧攻め」が深刻に伝わっているらしい。危険を冒してチーズ片、ソーセージなどがはいる。N先生、H先生などもチーズを「落として」いく。

一八日
朝本郷に八、五〇〇の機動隊。われわれはラジオに囓りつく。構内からの中継、神田、駿河台のカルチェ≠フ模様を聞くたびに「カッコイイ!」「異議ナシ」。
列品館、ああ、無条件降伏。
法研が落ちるなかで、「安田講堂が夜までもてばなあ」「明日までもてばなあ」、しかし、誰しもその望みは甘いと思っていた。青医連の「お医者様」は、ことのほか上機嫌、「これで入試がつぶれるかな。つぶれれば加藤が浮き、民青は展望失う」。
夕方「安田講堂ついに落ちず」。嬉しかった。神田カルチェに想いをはせ、私は八本をでたいとさえ思った。「タキ火をさせないよう徹夜で講堂に放水」、腹が立つ。寒いだろうな。腹減ってるだろうな。
八本食管、定時、四食体制をしく。朝食一一時(基本的にパン)、おやつ三時(クラッカー、又はジャムパン、又はじゃがいもと飲み物)、夕食八時(オニギリ、又はラーメン)、夜食張り番時、分隊ごとに部屋をきめ人数分配り、食器の取扱いはビシビシと監督。古い石油ストーブが一個みつかり、炊事も多少使利になる。
安田講堂攻めで駒場周辺の機動隊退き、翌日は民青、浮き浮きとハネることが予想され、緊張して就眠。

一九日
早朝、六時二〇分、民青のバルサン攻撃はじまる。同室の男共はとび起きでていったが、私はそのままグーグー。気がついたら、なんとバルサンの匂いが充満し、しかもばかに静か。あわてて跳ね起き救対の部屋へ。階段のシャッターが降り、三階ではバルサンをたき、上がってくる民青をせっせと鉄ハイプで突っついている。屋上からは下を出入りする民青に石を落とす。昼前、二階のシャッターが破られ、こちらも今までになく本気になって屋上から石や、火炎ビンを投げる。例のトンネルが燃え上がり、民背は大騒ぎ。見物の教官諸氏が、あわててヤメロ、ヤメロ―やめろなどというより七項目の真の解決でも考えてたほうが生産的だョ―。一階の民青は、ある者はタタミをかかえて逃げだし助かったが、あるバカは、薄いベニヤの切れっ端を背負って飛びだした。そこへ一発、大きめのが当たる。バ力民は動けなくなった。屋上では「異議ナシ」と叫び、そいつに集中攻撃。とうとうI君は人の頭ほどもあるデッカイのを振りかざす。囲りの人間があわてて止める。そのときのセリフ、「そんな大きいの投げたら、もったいない」。
救対の仕事はこういう防衛戦では、ほとんど負傷者もでず、バルサン対策にタオルをしめらすぐらい、暇である。
民青が後退したあと、安田講堂と神田カルチェが気になる。「まだ落ちない?」、挨拶みたいにみな聞きあう。
日本中の耳目が本郷―神田に集中している。その分だけ駒場は忘れ去られる。このまま、本当に兵糧攻めで、やられるかも知れない。機動隊導入という露骨なかたちではなく、もっと陰険に、大学共同体≠フ内に押え込まれるかたちで、われわれを八本から連れ去る魂胆らしいというのがおぼろげに感得される。
明大和泉に移動した駒場共闘はどうしているのか。たまに五〇〜一〇〇ぐらい近くまできて追い返されているようだが、パッと、三〇〇ぐらいでゲバ棒をもってくれば、二時間や三時間は正門、八本間を制圧できないはずはないのに。 最大結集して駒場に乗り込み集会もてば四〇〇〜五〇〇は集められるはずだ。和泉は何をやってる。一七日に入ってきたK君の話では「和泉のやつは、われわれの任務は八本に食糧を送り込むことだ」といっているそうだ。「駄目だ、それは日和見だ」。外の組織状況が不安だ、というのは全く、どうしようもない。われわれがパクられたら、駒場共闘は駄目になるのか。
昼間、五つ、六つの力バンが放り上げられる。キャベツ二個、カンパン、ピーナッツ、ソーセージ一〇本、タバコ一〇個、設★に入れた三人の助手は民青に連れ去られる。僅かな差入れに、大きな危険。
夕方、民青が再びバルサンをたいて攻め寄せる。臭いの臭くないの。
夜、バルサンにたきしめられ四階にいられなくなることを想定し、全ての食糧を集めて屋上に揚げる。整理していて、その多いのに驚く。主食のパンは、ダンーボール箱五個にぎっしり、ラーメンは中ぐらいのダンボール箱二つ分。そのほかチーズ、マーガリン、ソーセージ、お茶など、罐詰は一個だけ。 野菜、肉類の不足を我慢すれば、まだまだ四日や五日はもつ。それにタンクいっばいの水は手つかず。民コロや機動隊に没収されるのはシャクだが、いつまで八本生活がつづくかわからないので、景気よく放出すべきか、否か。食事班はイライラ。
給水タンク脇は火炎ビン置場になっており、青医連のM氏が慣れた手つきで火炎ビンをつくっている。 「闘争しているからといって医療技術の向上がはかれないものじゃない」。
二〇日には二一日の安田講堂奪還闘争のため組識化中の部隊を駒場にさしむけるとの連絡入り、食事班はかなり思いきって食物を提供。
夜半、民青の本格攻撃に備え、各分隊は改組。非常階段と屋上は三、五、六、医分隊、二、三階の階段は一、二、四分隊で防衛。ゲバ棒での対戦を予期し、「本格的」ゲバ棒づくりに精だす。民青が四階まで攻めてきたら、私たちもあのゲバ棒を振るうゾと食事班一同も固く決意。
終夜、民青の攻撃つづく。

二〇日
四時間ほどウトウトしただけで起きる。民青との攻防はつづいている。戦闘が小康状態になったとき、私はフトンを干しに屋上にあがる。久し振りのうららかな日和、私はス力ートをはいて(オー!)、髪をといて、日に干し、なんとな嬉しくなって踊りだす。壁に向かって投石練習もしたが、なにしろ力がない。
何百かの部隊を組んで駒場にくるという部隊は一向にこない。われわれはそのつもりで行動しているのに。
「明日はここをでる」という話が伝わる。入試中止はほぼ決定したとはいえ、われわれが八本を放棄する理由はあるのか。「今日も支接部隊がこないということは、もう和泉では運動を組めないということだ。外はもう当てにできない。とすればわれわれは、ここで玉砕できない。外にでて、再組識化の中核にならねばならない」。カッコイイ理屈。要するに敗北宣言だ。みな、消耗し、反発する。「ありったけの火炎ビンを投げて、機動隊入れて、玉砕しようぜ」、大方の人間が『極左小児病』にかかった八本生活の延長からは大人びた敗北宣言はつながらない。「組織的」組織ではない全共闘だから、統制に従わないものがかなり出ることが予想される。夜、全体集会が開かれたら不満が爆発しそうだった。和泉で再組織ができない駒場共闘が、われわれの撤退・再組織かで立ち直るとはオトギ話だ。われわれは八本死守≠貫徹する―ここまで闘って動かない駒場生なら、こちらから愛想をつかそう。
夕方近く、民青のスピーカーがヒステリックに叫び始める。「ただ今、正門前に反帝学評を中心とした数十人が中に入ろうとしています。明大和泉を三〇〇人ほどの全共闘一派が出発しました。行動隊の諸君は、すぐ北寮前に集まって下さい」。待ちに待った支援部隊だ。黄ヘルの動きがあわただしくなる。誰かがすばやく塔屋に登る。「見えるか」。「旗が見える。ヘル部隊はよく見えない。三〇〇〜四〇〇はいる」。私もスカートのまま登る。見える、赤旗の先っぽが見える。一本の陰に隠れて正門は見えないが、人がいっぱい駒場の駅前まで埋めているのがわかる。集会をもっているらしい。旗が揺れる。こちらからも駒場共闘の旗を振り応える。
「外に呼応して打ってでろ」という意見がでる。塔屋にのぼった目のいい奴が、本部に情報をもっていく。が、本部は動かない。民青の放送は外の部隊が火炎ビンをもってきたと伝える。ゲバルトが始まり、機動隊がきた模様。
やがて外の部隊は正門脇の坂道を下りて去っていった。しかし、とにかく昼頃とは情勢が違った。外の駒場共闘は三〇〇の部隊を結集できたのだ。明日二一の全国学園ゼネスト・労学総決起集会に参加するかたちででるか、それとも(食糧は二〜三日分残っている)このまま籠城をつづけるか。八本生活は終るのか。八本からでて、どんな闘争が待っているのか。
いずれにしろ、水を今までほどケチる必要はない。夜食の準備。Y子さんとカンパン、揚せんべい、氷砂糖を数え、スキムミルクをとき、ポットにつめ、配る。
一九日以来の戦闘体制は解かれていない。張り番はひんばんに回ってくる。民青はいつになくおとなしい。本部の結論はでたのかでないのか。気になりながら、みな、黙って、イラだっている。それを口にだして、互いに刺激したくない。でるのも、残るのも不安で不満なのだ。八本をでたくない。八本はわれわれのすみか≠ニして、与えられたのではなく奪いとったものだ。かち取り、守りきったすみか≠ネのだ。失いたくない。
夜を徹す。

二一日
部屋に戻り横になったのが朝の五時半すぎ。疲れてはいるが眠れない。朝のヤジ合戦がはじまっている。「でてくるなら早くでてこい」。もうそんな情報が外に流れているらしい。
ウトウトする間もなく揺り起こされ、九時過ぎ、全体集会。「入試中止を一応の勝利とみ、八本を撤退する。和泉からの出迎えを待って出、中大での総決起集会に参加…」、一同の顔に失望の色があらわれ、みるみる緊張が抜けていく。
昼、和泉から七〇〜八〇人が迎えに到着。下には黄ヘルがいっばい。荷物をまとめ、両手にもち、ヘルメットをかぶり、二階のバリをへんなふうに抜け、一階にでる。民青のスピーカーは「君たちが武器を捨て、自已批判してでてくるなら、われわれは君たちの身の安全を保全するだろう。といっても、駒場のコーハン≠ネ学生の怒りが噴出して統制がとれないかもしれない…」とあおっている。
Y子さんが「白金女子共闘」の旗を守って先頭にでる。案の定、黄ヘルが大勢群がってくる。彼らはへルに対し異常なコンプレックスがある。夢中でヘルはぎにたかってくる。私の救対のヘルも、すぐとられてしまった。一本の東側を回り、同窓会館の前を通り、二本の西側から裏門に抜ける間、黄へルメの連中はわれわれの荷物を奪い、殴り、髪を引っばり、けとばし、突き落とす。
救対は一番最後にでたので、追っかけてくる黄ヘルにしつこくいびられた。私は土手をころがされ、両手の荷物とショルダーをなくし、靴も片方飛ばされた。黄ヘルはなおもしつこくつきまとう。指揮者のスクラムを組めという号令にもかかわらず、われわれのデモの隊列は崩れたまま。
私は走る。片方の足は雨にぬれビショビショ。冷たい。門をでて、やっと隊列を組み直し、代々木八幡に向かう。足はもう感覚がない。デモの先列で横棒を掴んで、腰をかがめ、「民殺せ」とかけ声をかけ進む。髪はざんばら。
中大にいく部隊と和泉へいく部隊に分かれ、私は和泉に。八本をでて中大へ、そして神田カルチェ≠追求するとは、なんと元気のいい! 和泉に着き、みんなの顔をみると、やっとシャバにでた感じがしはじめる。スカートにはきかえ、あまりにも汚いアノラックをぬぎ、帰途につく。
切符を買って、電車にのるという行為がこうも不思議な感じがするとは。電車が揺れる。感覚がだんだん慣れてくる。重く、にぶく、日常性がもどってくるのがわかる。それと並行して第八本館はだんだん遠くなる。「幻想の八本コンミューン」は遠ざかる。

駒場共闘編『屈辱の埋葬』より
筆者の希望により転載