リハビリ学院 闘争報告(70年5月)

70年当時の『労連協情報』というパンフ(合冊版)が見つかったので、そのなかからリハビリテーション学院の闘争報告を紹介する。

 リハビリテーション学院とは――

「厚生省管轄下にあった国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院は、昭和38(1963)年5月1日にわが国初の理学療法士・作業療法士養成校として創設され、平成20(2008)年3月31日にその45年の歴史を閉じました。」
https://kiyoserehagakuin.wixsite.com/kiyoserehagakuin
そこにある学院略年表(pdf)には、1969-70年に以下のような記述がある。
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昭和44年(1969年)
9月 学生処分に関連し、全学集会が開催され、学生運動に伴う処分について協議される

昭和45年(1970年)
3月2日 2月23日以来特殊行動をとっているPT・OT職員連合は本学院の教育に関する4項目の要求を提出
3日 砂原茂一学院長はすべての教職員及び学生に対して現状の理解と教育の改善についての声明を行った
12日 学生自治会は教育方針等に関する要望書を学院長に提出
16日 学院長は入学式の延期を決定し、新入生に対して在宅待機の通知を出した
19日 学院長は12日の学生自治会の要望に対する回答を全学集会において説明
23日 学院長は第5回卒業式を行わないことを決定し、全学生に通知
6月 頻回の全学集会等により学生との話し合いが進展したので、 学院長は6月15日から授業を開始することとし全学生に説明
10月 学院長は学則改正、四年制問題等について全学集会を開いて説明
12月 諸般の事情に鑑み昭和46年度の学生募集は行わないことが決定される

『労連協情報 No.1』(70.5.6)
闘争報告

 (1) 国立東京病院附属リハビリテーション学院

 WHOの勧告により、昭和38年、労働力不足の問題解決の着手の一端に本学院の設立があった。昭和40年理学療法士・作業療法士の制定をもってその教育、資格業務について明確化した。これに基き、41年九州労災にもリハビリテーション学院が設立された。
 我学院の中で、上記の法によって制定された給与の劣悪さ(基本給は准看と同等)と、現実の病院内での地位の低さの面での不満が44年「4年制度研究会」というサークルを学生が生み出していった。これを母体とし4年制大学実現化運動が自治会単位で現在に至る迄続いてきた。学院当局も42年度「理学療法士の教育改善、向上に関する要望意見書」として4年制実現を厚生省に進言し、それ以後働きかけている。当初、給与地位向上を目指した運動も、現実の教育改善をはかるという視点も入り、研究体制の確立を要求する面も出てきた。43年6月には厚生省への請願デモを行い、それ以後毎月要望書を厚生省へ提出していた。一連の運動が見ていたのは、リハビリテーションチーム内におけるPT・OTの確立であり、生活できる給与を大学卒の肩書きで手に入れようとするものであった。
 医療の中でリハビリテーションチームとは医師・PT・OT・ST(言語療法士)、ソシャルワーカー、看護婦、心理学者が構成し、障害機能の回復、治療中の変形、麻痺の固定化を防ぎ、職能機能の復帰をはかる為治療訓練、心理指導、作業応用等で進める。それは例えば、土木工事の荒仕事をしていた人間が両足麻痺の障害をうけた時、ソシアルワーカーが心理学者と連携し、手仕事にあう性格へと強力に人格を変形して作業を、たとえばペン習字、編物等をつかってOTがすすめるという形である。しかし全国七二〇〇人の需要を満しきれないところで、このリハビリテーションチームの確立は近代的病院の中でしか見られないから、その供給に答える為に我学院における促成教育がある。45年2月23日、R学院卒業生で2年内外の臨床経験をもって専門教官をしていた6名の職員がPT・OT職員連合を形成し「学生諸君に要望する」というビラをもって教育改善にとりくむアビールを発し、臨床実習教官、実習担当教官、入試選考員の放棄、評価提出拒否という行動に出た。学院は、現在は過渡期であり、努力は続けているとして公務員の実力行動は認められぬというピラを出し、一切対応せぬまま放置してあったが、二月二十五日学生自治会が学院の教育機能停止と判断し、各実習地より全学生を結集させクラス討論をはじめた。全ての学院生は、事態を、起るべくしておきたものとして受けとめ、問題解決まで実習再試の無期延期を決定した。三月四日学院が全学集会を開きそこで具体的な四年制の構想と教師養成課題のカリをPT・OT審議会で作成中、臨床機関としてリハビリテーションセンターの設立を厚生省と交渉中と回答し、学院当局の方向性を明らかにした。民青諸君と一般学生はその中で現状の抑圧的な生活が突破できるのではないかと今までの4年制運動に乗りかえその実現を4月20日の総会決定をもって学院に要求した。具体的内容要求については整備は進んでおらず制度的保障のみを問題としたものだった。二月二七日結成されたR共斗は学院の出してくる4年制の意味を、今までの4年制運動の枠から一歩社会総体の中で医療のもつ意味と、とりわけリハビリテーションの現状とその位置をとらえる中で41年からの4年制運動を支えてきたエネルギーをとらえかえし、劣悪な状況への不満をその根源的な原因への分析に向け、即自的な現状の改良にあがくのではなく根本的な我々の欲求をみつめる作業をすすめてきた。44年度リハビリテーション医学会では早急に、4・3・2・1年制の養成機関を設置し増員をはかる方向を示し、それを受けて、PT・OT審議会は4・2年制のカリキュラムの作成を終え、教師養成コースのカリも5―6月には完成する見込みである。又大阪市立病院付属PT3年制の学院が一九七〇年四月設立され、神奈川・北海道にも同じく三年制の具体的構想があがっている。
 続々と3年制の学院が建てられようとしている現在当初からの特例法による有資格者と、学院卒業生との対立が冷たく激化している只中で、これ以上分断化された状態をつくり出すことは、学生が実習へ行って接した無資格者の我々への敵視をますますきびしくし、その上、4年大学が君臨することによってすべてのOT
・PTを対立関係に追いこむ。これを確認し全学に呼びかけた。そして余りにも桎梏になっていた学院の現状卒業生が二度と来たくないと云い残す。それは、四六時中パイオニア精神を吹きこまれ、欠席日数1/5以上になると受験資格がとれないため出席の為にのみ出席し、年間休暇十二週、そこで学生は教師の本のまる写しの授業と技術の取得に汲々とし現実にサークル活動は皆無に等しい。残されたわずかな時間もしぼりつくされたエネルギーでは自己の発展をみることができない。この状態が3年が4年になったからといって、アルバイト講師のまにあわせ授業、専門教科の学問性のなさは何ら解決しえないとして、非常勤講師、授業形態に焦点を絞り、それを自らの手で物質化することを追求していく方針を出した。また、R共斗の呼びかけと、4年制への疑惑から促成の教育と分断化を強いる根源をとらえようと医療研究準備会を結成、各医療分野の斗いと連帯をとりつつその中で、労働者を工場から病床へ、そしてまた、工場へと駆りたてていく尖兵としての自らが、如何に促成教育の抑圧と階制への分断化をはねのけ斗っていくのかという課題を重く担った。分断化に対して我々は、無資格者、特例法有資格者、府中を始めとする3年制養成所との結合をもってしか斗いえないし、その共同の敵の攻撃としてPT・OT審議会の答申がある。また、労働者階級にとってのリハビリテーションという増々の鉄鎖と自らがその重みになる中で、医療労働者と労働者階級の結合をもって我々の自己否定的エネルギを現実の斗いに物質化していくだろう。
 全ての労働者・学生諸君は、ブルジョアジーの医療の意味をリハビリテーションの実態にみてとり、この中で我々の斗いに注目し、連帯し共に斗かわんことを呼びかける。


『労連協情報 No.2』(70.5.16)

リハビリテーション教育の実態に怒りを!!

 五月二十六日学院当局は、暫定カリキュラム各学年の説明会において我々R共斗、医療研の追求に対しその無方針をさらけ出した。四年制移管までの在学生の暫定カリとして学院が提出してきたものは、何ら今までとは変らず、O・Tにおいて三教科が四年度目にまわされP・Tにおいては三年間で学科は修了し四年度目は全くの空白である。この説明会で学院は一挙に高圧的態度に出、現在の状態は学生が学院の方針に逆って実習放棄をし、説得にもかかわらず起したものである。現段階はその収拾であり、その為の暫定カリであると学生への責任転嫁と、最初の職連の問題提起に含まれる重要なこの学院の存在そのものが問われる事態の無視を通じた六月一日遅くとも上旬に授業再開を強行する態度を示した。そして暫定カリは学生が残るというから四年制大学移管への一歩としての四年なのであり、三年のカリを原形にしている。その三年のカリで現状の不満が出、今まで、そのカリ自体 教育方針、理念がなかった、実現されなかったという事実に対しては何ら関係なくパズル式に組み立てられたことを言明した。そしてこの学院は、三年制がたてまえであり、それを皆認識してもらいたい。四年間居たいという学生の希望を予算の枠内で考慮した、というものであった。一切暫定カリを組む教育的、学問的、社会的視点はないと明らかにし、それは授業の実践を通してつくるものだと両部長は、何ら現在の事態の中で出た暫定カリの意味は理解、せず、自ら組んだものに対し、方向性も明らかにできない醜態をさらした。
 我々の今までの抑圧された生活は、こんな紙ペラ一枚のパズル式カリキュラムで解消されるのだろうか。専門家の誇りを持てといわれ、昼夜、リハビリテーションの発展と、O・T、P・Tの確立を常に意識し、その為にというサークル、趣味があり、その中で自分自身の為にという生活がどれだけあったのだろうか。患者のためにが自分のためにというようなすりかえの中でいかなる人間性が育っていったのか、自己の全面的発展を望みその方向性を模索している我々に何ら前と変らなく、訳がわからないのはお互い様であるから、とにかく技術を得てからの話でしょうと、問題の解決を計ろうとせず、授業再開しようとすることに対し弾劾しなければならないだろう。我々の自由な時間をという切実な欲求に対し、四年目にそれをやるから一応三年のカリは極めろということは、我々の底にある最も鋭いものとしての、この学院P・T、O・Tのとらえ返しを追求するというものを過密カリで圧殺し、三年間の凝縮したものとして四年目の空白へその欲求を封じ
こめていくことは何なのか? 四年目の空白に残るものは誰なのか? 卒業生が三年を終えて我々の要望にもかかわらず、このような学院はこれ以上居たくないと、今回の問題にも一切かかわらず逃げるように出て行ったのを我々は覚えている。学院側の暫定カリで若干変ったが、Reh行政職業倫理管理が増している点で、四年制への方向性がいかなるものか――管理者育成への道は示された。四五年度我学院のカリを模範として大阪にできた日本医学校のカリを比較してみれば、第一にいかに虚飾をはろうとも技術者養成のみの専門科目重点主義であるし、技術学校との差は社会学、統計学、Reh行政ぐらいのものである。三年制卒業者との差はこのくらいのものだろう。しかしながら現在の学院の意図はとにかくはやく出したいということではないか。現在そのように方針も視点もないカリをおしつけ授業再開を強行しようとする裏に(学生が再開を望むとみえながら)現実的な学校制度の社会的役割りが見えるだろう。一定の技術をたたきこみ、きまった年限で定員を出すことに何故狂奔するのか。
 我学院のカリ教育は、ある意味ではReh教育における日本の集約点でもあるし、又、基準にもなっている。ここでこのようないいかげんな教育がなされ、人間性を圧殺していき改革への視点もない状態は現状のO・T、P・Tの存在がそもそもなんであったのかという重要な問題に突きあたらざるをえないだろう。人手不足、求人難の声と共にあがってきたリハビリテーション工場が監獄化し合理化が徹底化するごとにふえるリハビリテーション診療科、そこで我々は、作業に人間をあてはめ、職業に応じて変形してゆく。一片のヒューマニズムに支えられて。この恐ろしい構造は何なのか。我々が送り出される場は医療という名の修繕工場である。我々の人間性はそこで生きるのだろうか。
 リハビリテーションをめざしている諸君!!
 我々はこの問題を追求していく斗いを共に担おうではないか。我々には一歩も元の授業へはひきずりもどされないし、あのたまらない毎日を続けることはできないの
 すべてのリハビリ学生諸君!!
 斗いを進める空間をつくりあげよう。現在の自分をみつめなおそう。生き生きとした生活を。競争にかわる団結を手に入れよう。

R共斗    
医療研究準備会

  連絡先                  
   東京都北多摩郡清瀬町梅園一―二―七   
    リハビリテーション学院女子寮二十一号室
      TEL ----------          
        リハビリテーション学生寮